comes loose 1 「本当の淋しさを知っているのは」 街の外れにはよくあるような大きな屋敷に、よくあるような盛大なパーティ。見せ物が終わったら、あとは食べて飲んで気楽に楽しむだけだ。そのついでに自分の顔を少しでも売り込んでおけば次の仕事だってすぐにみつかる。だけどそういう場は俺のような庶民の出には理解できないような騒々しさで、だいたい一刻もしないうちに暇を乞うのが常だった。 「そろそろ帰るか」 宴会を行っていた広間に比べてずいぶん暗い廊下をひとりでとぼとぼ歩く。途中、庭に面した窓の外にいくつか男女の姿を見つけた。 「楽しそうでいいねぇ」 ため息混じりに呟くと、無駄に広い廊下に反響して馬鹿らしくなった。いい加減さっさと帰ろうと足を速める。 しかし、いくつ角を曲がっても、玄関にたどり着くことはできなかった。それほど奥まった場所に案内された覚えはないから、どこかの分かれ道で道を間違えたのだろう。誰かに聞こうときょろきょろ辺りを見回すが、宴の準備に割かれているのだろうか、こんなに大きな屋敷だというのに、使用人の一人も見あたらない。仕方なく、近くの硝子窓を開けてよじ登り、窓から庭に下りた。さっきと同じ庭なのかどうかは判別が付かなかった。 「いざとなったら上から帰ろう」 空を見上げ、方向をつかむとおおよその見当をつけてまた歩き始める。頬に感じる風は冷たく、足下の草は夜露に濡れて湿っていた。長めのコートを引き上げて、ぬれないように気をつけて歩くが、手が疲れてきたのであきらめた。どうして金持ち連中は、見せ物師にこういう長いびらびらした着物を着せたがるのだろう。おかげで今、こんな苦労をすることになるんだ。どさくさに紛れて衣装まで頂いてきたことは棚に上げ、心の中で毒づいたときだった。 「あ、やばい雨だ」 少し長めの前髪にしずくが落ちたのを感じた。すでに足下がびしょびしょだというのに、これ以上ぬれるのは勘弁して欲しい。空をもう一度確かめようと顔を上げたが、空を見ることはできなかった。次に落ちてきたのは雨の滴ではなくて、人間だったからだ。 「うぉあぁぁ!!」 無様な叫び声を上げて仰向けに倒れ込む。落ちてきた人間も痛そうに呻いていた。クッションにするには俺の身体は柔らかさに欠けていたらしい。それでも俺の上からすぐに退いてくれたという事はそんなに重い怪我はないということだろう。たぶん俺の方が重傷だ。顔から激突することになった俺は首が寝違えたようになってしまっていて、情けないことに涙目だった。 「けがはないか?」 涙目で言うにはちょっと強がりすぎのセリフだ。落ちてきた人間は地面に座り込んで、上等そうなひらひらの寝間着を泥だらけにしている。何度も何度も大きくうなずいているのを見て、俺はとりあえず安心した。首を押さえて起き上がりながら、どろどろになったコートを思う。洗えば何とかなると信じよう。できる限り泥を払い落とし、手をコートでぬぐった。 「ほら、立てるか?」 手を貸して立たせたあと、泥を払ってやると、今度はその薄着が気になってきた。よく見なくとも、この子はまだ子どもだ。しかもまずいことに女の子。風邪をひかせでもしたらどんなことになるかわかったもんじゃない。これまでに金持ちどものめちゃくちゃな言い分に泣かされてきたことウン十年。それなりに世の中ってものがわかってくる。やや汚れてはいるが、防寒に関してはバッチリの俺のコートをかけてやると、彼女は驚いたように顔を上げた。さっきはぶんぶん首を振っていたからよく見えなかったが、結構な美人だ。あと何年かすれば。でもそれよりなにより気になったのは、頬に涙のあとが残っていることだった。髪と同じ色の金のまつげも濡れて光っている。 「あんた、泣いてたのか」 呟くと、泣き顔を見られたことに気づいて、少女は顔を伏せてコートの袖で顔をぬぐった。そんなことをしても遅いのに。とも思ったが、あんまりにも一生懸命だったので言葉にはしなかった。改めて、彼女が落ちてきた空を仰ぎ見る。小さなバルコニーの奥で開けっ放しの窓からカーテンがひらめいている。首がつらくなってきて地面に目を戻すと、少女が同じように上を見上げていた。 「その年で世を儚んで身投げなんて、もったいない。もう少し生きるのを楽しんでみたら?」 試しにそんなことを言ってみると、少女は小さく首を横に振った。まあそうだろう。こんなに小さい子どもが自殺なんて、そんな世の中終わってる。 「じゃあ、なんであんな高いところから俺の上まで落ちてきたんだよ」 努めて優しい声で尋ねると、少女は長い沈黙の後、口を開いた。 「鳥がね、死んだの」 思い出してまた悲しくなってきたのか、声が震える。 「私が、大事にお世話してたのに……猫に殺されちゃった。私がっ、扉をちゃんとしめておかなかったから……」 黙って聞いていると、少女はまたコートの袖で目をこすった。 「それで、悲しくなって……死んだ人は星になるって聞いたことがあったから、鳥も星になるのかなって……それで星を見てたら……」 「落っこっちゃった?」 最後を引き受けると、少女は一つうなずいた。そっかー、と相づちをうって空を見上げる。確かに今日は星が綺麗だった。 「でもね、鳥は死ぬよ」 空から目を離して、静かに告げると、少女は意外だったのか、少し息をのんだ。 「鳥も死ぬし、人も死ぬ。当たり前だろ」 ちょっと冷たかったかな。とも思うがしょうがない。だって事実だから。 「なのに、なんであんたは泣くんだろうね……。そういうときは俺なんかより、お父さんとお母さんに側にいてもらうもんだ。お父さんとお母さんは?」 また少女が首を横に振る。そうか、この家の子なんだから、両親はパーティに出席してるに決まってる。 「こんなときに子どもの側にいないとはなぁ」 呟くと少女が手を伸ばして俺の手を握ってきた。手のひらはつかみきれなくて、指先だけを握られる。 「淋しいから。だから、泣くんだよ」 思いがけず返ってきた答えは、それこそ当たり前と言いたげな声音だった。 「それより、あなたは誰?」 「だいぶ今更だな……」 あきれながら、俺はコートと同じくずるずる引きずって歩かざるを得ない服をたくし上げて見せた。 「このかっこ見たらピンとこない?」 少し考えてから魔術師?と控えめに尋ねてくる。 「正解」 そう答えると、少女は一瞬なにか言いたそうな顔をした。でも言いかけて結局やめる。 「なに?偽物だと思ってる?まぁ、確かにあんたのお父さんたちはタネを明かそうと頑張ってたけどね」 だいたいそういう物だ。魔術師なんて格好良さそうな立派な呼び名を持っていても、実際は見せ物師扱い。俺もそのくらいの気持ちでいるけど、こんな子どもにまで疑われるのはどうも悲しい。 「違う。カルラを……ううん。ちょっとお願いをしてみようと思ったんだけど、やめとく」 「そうか」 カルラってのは鳥の名前だろうか。だとしたらお願いの中身もなんとなくわかる。 「それもたぶん正解だ」 俺はちょっと寒いのを我慢して、腕まくりをした。しゃがみ込むと、少女の膝を抱えて立ち上がる。俺は背の高い方だからちょっと怖かったかもしれないが、少女は何も言わなかった。 「それじゃあ、お嬢さん。魔術師ってとこを見せて差し上げましょう。ほら、上向いてな」 肩に乗せた少女の身体を片方の手で支えると、右足のつま先で地面を軽く三度たたく。体重がなくなる感覚と共に、俺たちは空中に舞い上がっていた。少女が俺の頭にしがみつく。 「いてっ、ちょっと、これじゃ前見えないって!おっとと……あ、行きすぎた」 慎重に空中で身体の向きを微調整し、何とか小さなバルコニーにたどり着いた。 「はい、到着。お嬢さん、ついたよ。もう飛ばないって……」 しがみついて離れない少女に顔の半分を隠されたまま、俺は途方にくれる。喜ばせようと思ったのに、悪いことしたなぁ。自分の頭よりも少し高いところまで腕を上げて、ぎりぎり届いた 少女の頭におそるおそる触れてみる。金色の髪は見た目通り柔らかくて、小動物の毛並みのようにすべらかだった。 ぎこちなくなでていると、やがて落ち着いたのか、少女の両腕から力が抜けて俺の頭は解放された。痛めた首が限界を叫んでいる。ゆっくりバルコニーに少女を下ろすともう一度彼女の頭の上に手のひらをおいた。少女の顔は俺の胸よりも低い位置にあって、俺が目を合わせようとしない限り、永遠に視線が交わることはない。だけど俺はわざわざしゃがみこんで、少女の顔をのぞき込んだ。 「悪かったな。怖かった?」 怖かったくせに、少女は首を横に振った。それがおかしくて、自然と笑いがこみ上げてくる。 「そか。じゃ、もう一個おまけだ。あんたの鳥のために、とっておきの花火を上げよう」 人差し指と中指を立てて息を吹きかける。その指を思い切り振り下ろすと光が暗闇にはじけ、たくさんの鳥となって夜空を羽ばたいた。光の粉をまき散らしながら、金色の鳥たちは夜空を飛んでいく。少女はその様子を姿が見えなくなってもずっと見つめていた。暗闇の帰ってきたバルコニーで、俺は少女の頭をもう一度なでた。 「もう淋しくないか」 尋ねても少女は答えない。瞬きもせずに遠くの空を見つめるばかりだった。それがあまりにも子どもらしくて思わず微笑む。すると、その気配に気づいたのか、少女が勢いよく振り返った。 「淋しい!」 先ほど俺が出した問いの答えだと理解するのに少し時間がかかった。 「あのなぁ。世界中に淋しい奴はあんただけじゃない。いくらでもいるんだよ。俺にどうしろって?」 困った顔を作って笑ってみせるが、少女は笑わなかった。 「あなたも?あなたも淋しいの?」 意外な質問に、とっさに言葉がでなかった。 「だったら、私といれば淋しくないよ」 言いながら俺の服の裾をしっかり握る。じっと俺を見つめて瞬きをしない。本当になんて瞬きの少ない娘だ。 「そうだなぁ、淋しいのかなぁ」 言葉にすると、なんだか自分が淋しかったような気がしてきた。 「私といればって、俺の嫁に来てくれるの?」 茶化して尋ねると、少女は顔を真っ赤にした。ずいぶん懐かれたものだ。 「あんたが綺麗な娘さんになるころには、俺、いい年したおじさんになってると思うよ」 うつむく少女にもう一度聞く。 「だって、魔術師でしょ?」 うつむいたままの声に、俺は曖昧にほほ笑んでみせた。黙って少女の肩からコートを取り戻す。 「さて、さっさと中に入んなよ。このままじゃ俺、子どもからコートを取り上げた嫌な大人になるだろ」 本当はコートはそのままで帰った方が絶対に印象はいいのだが、どうにも惜しい。まくり上げていた袖をもとに戻して、その上にコートを羽織った。 「この手すり、お父さんに言って高くしてもらった方がいいぞ」低いバルコニーの手すりを乗り越えて振り返ると口元に人差し指を当てる。 「じゃあな。俺が来たことは秘密だ」 「また来る?」 今まで見たことないくらい淋しそうな顔をするから、俺は笑って約束した。 「内緒でな」 そのとき、初めて少女は笑った。夜なのがもったいない。明るければもっとちゃんと見られたのに。 そして俺は思いきりバルコニーの床を蹴って暗闇に飛び出した。帰り道は問題ない。塀を乗り越えるまでまっすぐいけば、たぶんなんとかなるだろう。次に迷わず来られるように、できるだけ景色を目に焼き付けた。あぁ、そういえば。俺は今更思い出した。あの子の名前を聞くのを忘れていた。次に会ったときに聞くことにしよう。あきれて笑われてしまうかもしれないけど。 back * next
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